ホームにて

B級釣師

2006年11月20日 21:26

ホームにて


      
                        中島みゆき

ふるさとへ 向かう最終に

     乗れる人は  急ぎなさいと

やさしい やさしい声の 駅長が

     街なかに 叫ぶ

振り向けば 空色の汽車は

     いま  ドアが閉まりかけて

灯りともる 窓の中では 

     帰りびとが笑う

走りだせば 間に合うだろう

     かざり荷物を ふり捨てて

街に 街に挨拶を

     振り向けば ドアが閉まる



振り向けば 空色の汽車は

     いま  ドアが閉まりかけて

灯りともる 窓の中では 

     帰りびとが笑う

ふるさとは 走り続けた ホームの果て

     叩き続けた 窓ガラスの果て

そして 手のひらに残るのは

     白い煙と乗車券

涙の数 ため息の数 

     溜まってゆく 空色のキップ

ネオンライトでは 燃やせない

     ふるさと行きの乗車券


たそがれには 彷徨う街に

     心は今夜も ホームに たたずんでいる

ネオンライトでは 燃やせない

     ふるさと行きの乗車券

ネオンライトでは 燃やせない

     ふるさと行きの乗車券


先週の札幌出張時に、久々に汽車に乗った。
5時半の北海道は、もう夜中のような暗闇だ。
17時45分発の特急オホーツク8号。

17時45分に乗り込み、札幌到着は22時38分。
約5時間の汽車の旅。

一人でホームに立っていると、いろんなことを考えた。

 改札をぬけ、吹きさらしのホームに立つと、中島みゆきの「ホームにて」という曲がふと頭に浮かんだ。
 もう30年近く前、コタツの中で受験勉強をしていた頃、北海道に憧れ、何度も何度も聞いていた曲だ。

 当時住んでいた兵庫の家は、国道の近くにあり、深夜になると国道を走る大型トラックがシューンという独特の音を立てて走って行く音が聞こえた。
 瀬戸内から日本海方面に物資を輸送するトラックだったのだろう。

深夜 静まり返った田舎町を疾走して行くトラックに、大きな憧れを抱いていた。
田舎町を出て行くであろう自分とトラックを重ね合わせていたのかもしれない。

受験は結局失敗し、東京に住むことになった。

当時金のないことが学生のステイタスであったが、本当に金がなかった。
帰省はいつも東京を深夜12時直前に出発する「大垣」行き(普通列車)だった。
帰省の折には、仲間が駅までやって来て、レッドの小瓶なんかを差し入れてくれた。


学生時代、バイトの金が貯まると、決まって信州方面の山に登った。
新宿駅、急行アルプスの待つホームに着くと、様々なパーティーが集まっている。
まるで山岳列車のような様相だった。

グループの服装や装備を見ると、そのグループのレベルが一目瞭然だった。体育会系山岳部あり、デッキで酒宴を開いている集団あり....。

貧乏学生は、指定席などとれるはずもなく、通路に新聞紙を敷いて眠るしかなかった。

「社会人になったら、指定席でゆったりと山に向かうぞ!」などと ささやかな(ささやかすぎ)夢を持っていた。


家があり、家族が居て、何の不自由もない。
でも、無性にすべてを投げ出して、見知らぬ世界に飛び出したくなることがある。

そんな心の引き金を、オホーツク8号が引いたのかもしれない。



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