川のにほひ
川のにほひ その四
子どもの寝る時間
夏休みの夜は、私の兄弟は全く別世界に住んでいた。
私の兄はとにかく勉強ができ、夏休みの宿題など夏休みが始まるとすぐに終えてしまい、残りの夏休みを読書や工作、そして学校の宿題とは違う勉強をして過ごしていた。
一方の私は、夏休みの最終日に親子総出で宿題に追われたものだ。兄にも手伝ってもらったものだ。同じ兄弟でどうもこう、デキが違うのかと子どもながらに親か神様か自分自身にか、とにかく何かを恨んでた。
そんな夏休みの夜、父親が出し抜けに「おまえ、凧糸持ってるか?」と聞いてきた。
「何すんの?」と聞いても教えてくれない。
あるなら、とにかく持ってこい、というばかり。
何に使うのか全くわからないが、気難しい父親のいつもと違う柔らかい顔つきに、「何か企んでるな」という勘だけははたらいた。
机の引き出しから持ち出した凧糸を父親に渡すと、庭の物干立てと塀との間(7m〜8mはあっただろうか)にくくり付けた。そうして、その凧糸の途中に等間隔に結び目を作って、ピンと張った。
これから何をしようとしているのか、全く見当がつかないでいると、今度は押し入れから、釣り具の入っている木箱を取り出してきた。
私はもうそれだけで舞い上がっていた。父親の行動は、とにかく釣りに関係のあることだと私にも理解できたからだ。
父親は普段使うことの無い、黒くて大きな針を数本取り出し、40㎝〜50㎝ほどの凧糸に結びつけた。私は、父親が何をしようとしているのか聞いてみたかったが、父親の機嫌を損ねるとすべてが水の泡になるので、とにかく父親にまとわりついて、その手元を見ていた。
針の付いた凧糸が数本でき上がる頃、父親が独身時代に下宿していたと言う近所の下宿屋のオジさんが訪ねてきた。下宿屋のオジさんと言っても父親と年齢が近く、事実その下宿屋の娘は私と同級生で、低学年の私にとっても淡い思いを抱く可愛い子だった。(いまでは顔も思い出せないが...)
そのオジさんが、庭先の凧糸を見て、「いい具合だ」というようなことを言っていたので、父親は彼に教えてもらって、この仕掛けを作っているらしかった。針に付いた凧糸の長さがどうの...川の水門の近くがどうの...と、麦茶を飲みながら釣り談義をしているのを横に座って聞いていた。話の中に出てくる水門や堰堤は、私たちの日中の遊び場だったので子どもにもすぐに理解できた。
父親がこんなにも気さくに他人と話しているのを見たのは初めてだったかもしれない。
針の付いた糸を庭先の凧糸の結び目にくくり付け、何かの本で見たマグロのはえ縄のようなものが完成したのは、夏の夜もかなり遅い時間になっており、子どもの寝る時間はとっくに過ぎていた。
この間の記憶ははっきりとあるのだが、兄の姿はどこにも無い。きっと部屋で勉強をしていたか本を読んでいたのだろう。
釣りと言えば釣り竿。そんな頭しか持ち合わせていない私にとっては、これからどうするのか? それ以上に、この仕掛けを使う時に一緒に連れて行ってもらえるのかどうかが気になって仕方が無かった。
下宿屋のオジさんが帰り、私の頭は「この仕掛けを何時使うのか?」の一点で一杯になった。そんなとき、父親が「懐中電灯を持ってこい」と言った。言われるままに玄関の壁にぶら下がった懐中電灯を持ってくると、「蚊に刺されるから、長袖を着てこい」と言う。私は天にも昇る気持ちでタンスに向かった。冬でも半ズボンの地域柄、長袖の服を引っ張りだすのに時間がかかった。ぐずぐずしていると父親が一人で行ってしまうのではないかと不安になった。母親に聞いて探したが、その時間がとても長く感じた。
ようやく長袖のシャツを見つけ縁側に戻ってくると、父親は冷蔵庫から紙包みを出して待っていた。それから父親は、庭先に張った仕掛けを風呂の薪に丁寧に巻き取り、これも新聞紙に包んで準備は完了したようだった。
父親の自転車の後ろに乗り、いつも遊んでいる川へと向かった。こんな時間に河原に来ることなんて絶対にあり得ないことだった。釣りのことよりも、そういった超えてはいけない一線を父親と一緒に超えていることだけで、ドキドキしていた。
先ほど話に出ていた水門に到着すると、父親は握りこぶし大の石を一つ拾い上げ、仕掛けの端に結びつけた。そして、その石ころを私に持たせると、ゆっくりと仕掛けを延ばしもう片方の端を岸辺の樹の根元にくくり付けた。私は、石ころを持って父親の様子をじっと見ていたが、蚊の攻撃に悩まされていた。
それから父親は冷蔵庫から取り出した紙包みを広げ、魚のアラのようなものを仕掛けからぶら下がった針に付けていった。一通り餌を付け終えると父親は、私の持っている石(仕掛けの端)を沖に向かって投げるように言った。
私は驚いた。この仕掛けに魚が食い付くかどうかは、この仕掛けをどこに入れるかにかかっていることくらい能天気なB級にも想像できたからだ。一番大切な「投入」を私にやらせてくれることが、嬉しさを超えて「緊張」だった。「あんまり強く投げたら、糸が切れるぞ」という言いつけを守って、緊張しながら、そっと工場の明かりが反射する方に投げ入れた。
「よし! いいとこだ」という父親の声を聞いてホッとした。
このまま魚が釣れるのを待つのかと思ったら、意外にも「さあ、帰るぞ」と言う。「明日は早いから、早く寝ろ」という言葉を聞いて少々不安になった。布団に入ってからも、「餌に食い付いた魚が夜のうちに逃げないだろうか?」 「誰か他の人に仕掛けを盗られないだろうか?」 「どんな魚が釣れるのだろうか?」と気になってなかなか寝付けなかった。
翌朝早く父親に起こされ、昨夜と同じように父親の自転車の後ろに乗って河原に出かけた。朝の空気はまだひんやりとしていた記憶がある。相当に早い時間だったに違いない。
河原に着くと、父親よりも先に水門めがけて駆けて行った。樹の根元の凧糸はピンと張ったままだ。父親が来る前に凧糸に触れていいものかどうか迷っている所に父親がやってきた。「糸を引っ張ってみろ」という言葉をまって、気持ちは焦るが、ゆっくりと凧糸をたぐり寄せた。
何かが糸をグングンと引いた。糸を持つ手が震えた。私たち子どもが普段釣っているフナやオイカワとは明らかに違う強い引きだった。それに気付いた父親が「ゆっくり上げろ」と言った。
手だけでなく、足も震えた。「ゆっくり ゆっくり」と自分に言い聞かせながら、糸を手繰り寄せた。何本目かの釣り針が上がってきた時に、水の下で何かが暴れた。その瞬間空の釣り針が私の手に刺さった。しかし、痛さは感じなかった。返しまでは刺さっていなかったのか、すぐに抜くことができた。
水面下で暴れているのが、大きなナマズだとわかったのは間もなくだった。ナマズは水の中でグルグルと身をよじって暴れた。「でっかいぞ!」と後ろで父親の声がした。しかし笑いながら見ているだけだった。
ようやく岸辺に引っ張り上げたナマズはヌルヌルとして針を外すどころではなかった。それでも私が針を持って何とか外そうとしているとき、「アッ」という間もなく、ドボンという音を残しナマズは川へ帰って行った。
私は足がすくんだ。父親に怒鳴られると思った。振り返るのが恐かった。
後ろから「でっかいナマズだったなぁ」という予想外の柔らかい声が聞こえた。振り向くと父親が笑っていた。
この仕掛けは、その後しばらく近所のワンパクどもの間で流行り、釣り針に糸を結べない奴は馬鹿にされた。
ナマズはともかく、ウナギやスッポンを掛けると、どの親も川に行くことを大目に見てくれるようになった。
カッちゃんのばあちゃんが川で亡くなるまでの数年、夏になるとこんなことを繰り返していた。
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