2008年08月14日
訪問
川のにほひ その七
訪 問
訪 問
今年もまたお盆の季節がやってきた。
今年は仕事に追われ、親の顔を見に行くことも無く夏が過ぎていきそうだ。
年老いた両親と遠く離れて暮らすことの親不幸を、しみじみと感じることが多くなった。
私の釣の原点は、父親と通った近所の川.........。
そしてもう一人の存在.....。
それは父親の弟。叔父である。
毎年夏休みになると、父親の実家に帰省するのがきまりだった。
汽車に3時間程揺られ、その車窓からは夏色に輝く瀬戸内海が見え、いくつかのトンネルを通過することも魅力だった。
当然汽車には冷房など付いているはずも無く、みんな汽車の窓を開け、入り込んで来る夏の風を満喫していた。帰省の朝は母親が弁当を作り、水筒に麦茶を入れ、一人忙しく動き回っていた。田舎のローカル線から山陽本線に乗り換えるとお弁当を食べることが許された。今のように汽車の本数も多くはなく、ましてお盆近くの帰省ラッシュもあり、ホームでは長い間列を作って並び、やっと乗り込んでも家族四人が並んで座れることは滅多に無かった。
ホームに入ってきた汽車には、当時二種類の列車があり、一つは客車全体が濃い茶色に塗られた車両で僕たちは「チョコレート電車」と呼んでいた。でもこの車両はいわゆる「ハズレ」で、もう一種類の車両....全体が緑色で窓の幅にオレンジ色に塗り分けられた列車....がホームに入って来ると「アタリ」だった。この車両には天井に扇風機が付いており、子供心に「近代的」な電車だった。
車中では見知らぬ同乗者が離れた席に座る私たち親子を気遣って席を替わってくれたり、お菓子をくれたり(私の母親も近くに座った子どもがいると、お菓子をわけてあげたりしていた)と、のどかな光景がそこここにあった。
さて、実家の叔父であるが、僕たちが帰省すると、決まって裏の川(大きな一級河川)に連れて行ってくれた。僕は一日中でも釣をしていたかったが、「暑いから」と言って、決まって夕方からの出撃だった。
その川には、当時(昭和40年代)でさえ珍しくなっていた和船が何艘か係留されており、その多くは朽ちていた。夜になると舟が川面を照らしながらゆっくりと流れていくのを何度か見た記憶がある。カーバイトの灯りで鮎を捕っているということだったと思う。
叔父は独身で子どもが居ないためか、とても良く面倒を見てくれ、とりわけ私をかわいがってくれた。それは他の従兄弟たちが集まった時でも同じだった。
私と叔父との密かな目標は「ウナギ」を釣ることだった。夕方からハエなどを釣り、それを餌に夜釣りに突入するのだ。父親が同行することもしばしばだった。年によっては、帰省した私たちを庭の片隅の大きな瓶の中でウナギが待っているということもあった。
そんな夏が毎年のあたりまえのできごとだった。
私が中学1年生の夏、初めて鯉を釣ったのもそんな繰り返しの中だった。
中学・高校と部活などで夏に帰省する機会が少なくなり、大学に進むと帰省は年末だけになり、一緒に釣りに行くことも無くなってしまった。ただ、私の進んだ大学が叔父の母校だったこともあり、叔父は大変喜んでくれ、普段酒を飲まない叔父もこの時ばかりは学生時代の話とともに大いに酔ってくた。
私が故郷から遠く離れた北海道に赴任した年の初夏、ポンコツ住宅の呼び鈴が鳴った。
ガラガラと戸を開けると、そこには叔父が立っていた。
「叔父さん 突然どうしたの?」
「○○ちゃん ずいぶん遠くへ来たんだね」
そんな会話を交わしたところで目が覚めた。
枕元の時計を見ると4時頃だった。
初夏の北海道の朝は早く、既に日は昇り、夏の陽射しに満ちていた。
懐かしいなぁ......叔父さんどうしてるかなぁ.......などとぼんやりと考えていると電話が鳴った。
叔父さんが亡くなった事を伝える電話だった。
毎年 お盆の時期になると思い出す。
今年は仕事に追われ、親の顔を見に行くことも無く夏が過ぎていきそうだ。
年老いた両親と遠く離れて暮らすことの親不幸を、しみじみと感じることが多くなった。
私の釣の原点は、父親と通った近所の川.........。
そしてもう一人の存在.....。
それは父親の弟。叔父である。
毎年夏休みになると、父親の実家に帰省するのがきまりだった。
汽車に3時間程揺られ、その車窓からは夏色に輝く瀬戸内海が見え、いくつかのトンネルを通過することも魅力だった。
当然汽車には冷房など付いているはずも無く、みんな汽車の窓を開け、入り込んで来る夏の風を満喫していた。帰省の朝は母親が弁当を作り、水筒に麦茶を入れ、一人忙しく動き回っていた。田舎のローカル線から山陽本線に乗り換えるとお弁当を食べることが許された。今のように汽車の本数も多くはなく、ましてお盆近くの帰省ラッシュもあり、ホームでは長い間列を作って並び、やっと乗り込んでも家族四人が並んで座れることは滅多に無かった。
ホームに入ってきた汽車には、当時二種類の列車があり、一つは客車全体が濃い茶色に塗られた車両で僕たちは「チョコレート電車」と呼んでいた。でもこの車両はいわゆる「ハズレ」で、もう一種類の車両....全体が緑色で窓の幅にオレンジ色に塗り分けられた列車....がホームに入って来ると「アタリ」だった。この車両には天井に扇風機が付いており、子供心に「近代的」な電車だった。
車中では見知らぬ同乗者が離れた席に座る私たち親子を気遣って席を替わってくれたり、お菓子をくれたり(私の母親も近くに座った子どもがいると、お菓子をわけてあげたりしていた)と、のどかな光景がそこここにあった。
さて、実家の叔父であるが、僕たちが帰省すると、決まって裏の川(大きな一級河川)に連れて行ってくれた。僕は一日中でも釣をしていたかったが、「暑いから」と言って、決まって夕方からの出撃だった。
その川には、当時(昭和40年代)でさえ珍しくなっていた和船が何艘か係留されており、その多くは朽ちていた。夜になると舟が川面を照らしながらゆっくりと流れていくのを何度か見た記憶がある。カーバイトの灯りで鮎を捕っているということだったと思う。
叔父は独身で子どもが居ないためか、とても良く面倒を見てくれ、とりわけ私をかわいがってくれた。それは他の従兄弟たちが集まった時でも同じだった。
私と叔父との密かな目標は「ウナギ」を釣ることだった。夕方からハエなどを釣り、それを餌に夜釣りに突入するのだ。父親が同行することもしばしばだった。年によっては、帰省した私たちを庭の片隅の大きな瓶の中でウナギが待っているということもあった。
そんな夏が毎年のあたりまえのできごとだった。
私が中学1年生の夏、初めて鯉を釣ったのもそんな繰り返しの中だった。
中学・高校と部活などで夏に帰省する機会が少なくなり、大学に進むと帰省は年末だけになり、一緒に釣りに行くことも無くなってしまった。ただ、私の進んだ大学が叔父の母校だったこともあり、叔父は大変喜んでくれ、普段酒を飲まない叔父もこの時ばかりは学生時代の話とともに大いに酔ってくた。
私が故郷から遠く離れた北海道に赴任した年の初夏、ポンコツ住宅の呼び鈴が鳴った。
ガラガラと戸を開けると、そこには叔父が立っていた。
「叔父さん 突然どうしたの?」
「○○ちゃん ずいぶん遠くへ来たんだね」
そんな会話を交わしたところで目が覚めた。
枕元の時計を見ると4時頃だった。
初夏の北海道の朝は早く、既に日は昇り、夏の陽射しに満ちていた。
懐かしいなぁ......叔父さんどうしてるかなぁ.......などとぼんやりと考えていると電話が鳴った。
叔父さんが亡くなった事を伝える電話だった。
毎年 お盆の時期になると思い出す。
Posted by B級釣師 at 08:46│Comments(18)
│川のにほひ
この記事へのコメント
おはようございます。
う~ん・・・なんだか涙がでそうになりました。。。
叔父様も天国でB級さんの今の姿を見て喜んでるでしょう。
「俺が仕込んだ自慢の甥っ子だぁ!!」ってね☆
う~ん・・・なんだか涙がでそうになりました。。。
叔父様も天国でB級さんの今の姿を見て喜んでるでしょう。
「俺が仕込んだ自慢の甥っ子だぁ!!」ってね☆
Posted by クラップ at 2008年08月14日 09:08
ジィ~~~ン なんか感動しました
思い出 大切にしたいね
川のにほひシリーズ 大好きよ
思い出 大切にしたいね
川のにほひシリーズ 大好きよ
Posted by turiski at 2008年08月14日 14:07
>クラップさん ありがとね
叔父さんはきっと「ここまで釣り●鹿になるとは....」とため息をついていることでしょう。近々「真面目に生きろ!」と気合いを入れに来てくれるかも。
叔父さんはきっと「ここまで釣り●鹿になるとは....」とため息をついていることでしょう。近々「真面目に生きろ!」と気合いを入れに来てくれるかも。
Posted by B級釣師 at 2008年08月14日 15:49
>turiskiさん ありがとさん
みんなそれぞれに忘れてしまった思い出や縁があるんでしょうね。それが何かのきっかけでひょっこりと顔を出す。
夢や希望よりも思い出の方が多くなるような年になってしまいました....泣
みんなそれぞれに忘れてしまった思い出や縁があるんでしょうね。それが何かのきっかけでひょっこりと顔を出す。
夢や希望よりも思い出の方が多くなるような年になってしまいました....泣
Posted by B級釣師 at 2008年08月14日 15:52
こんばんは。
涙・・・
亡くなる前にも気にかけていらっしゃったんでしょうね。
お盆は去っていった人達を思い出しますね。
あの時もっと話を聞いておけば良かったって思い出が多いです。
涙・・・
亡くなる前にも気にかけていらっしゃったんでしょうね。
お盆は去っていった人達を思い出しますね。
あの時もっと話を聞いておけば良かったって思い出が多いです。
Posted by release-windknot at 2008年08月14日 22:50
こんばんは
初めてコメント差し上げます。
(拙いハンドクラフトの記事にコメントありがとうございました。)
遠く離れた、でも、心の中では身近な人が亡くなったとき、
このような経験をなさる方もいらっしゃると聞いております。
今でもB級釣師さんが、川に行かれる時、ひょっとして
叔父さんは、ごいっしょされているのではないでしょうか?
初めてコメント差し上げます。
(拙いハンドクラフトの記事にコメントありがとうございました。)
遠く離れた、でも、心の中では身近な人が亡くなったとき、
このような経験をなさる方もいらっしゃると聞いております。
今でもB級釣師さんが、川に行かれる時、ひょっとして
叔父さんは、ごいっしょされているのではないでしょうか?
Posted by jbopper
at 2008年08月15日 00:27

>release-windknotさん こんにちは
お盆ってね、普段ノーテンキに過ごしているB級も、ご先祖さんや仏さんをちょっぴり意識しちゃいますね。
爺さんや叔父さん....婆さん....もっともっと話をしたかったですね。
後悔先に立たず。
お盆ってね、普段ノーテンキに過ごしているB級も、ご先祖さんや仏さんをちょっぴり意識しちゃいますね。
爺さんや叔父さん....婆さん....もっともっと話をしたかったですね。
後悔先に立たず。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 08:42
>jbopperさん こんにちは
jbopperさん、いつも楽しく拝見させていただいてます。木工の作品にいつも感心してます。
虫の知らせ/夢枕に立つ...と言うのでしょうかね。もう20年以上も前のことですが、はっきりと覚えています、
今後ともよろしくお願いいたします。
jbopperさん、いつも楽しく拝見させていただいてます。木工の作品にいつも感心してます。
虫の知らせ/夢枕に立つ...と言うのでしょうかね。もう20年以上も前のことですが、はっきりと覚えています、
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 08:49
B級釣師さん
> 初めてコメント差し上げます。
と書きましたが、随分前から相互リンクさせていただいてましたね。
とんだ勘違いで、失礼いたしました。(ボケてきたかな?)
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
> 初めてコメント差し上げます。
と書きましたが、随分前から相互リンクさせていただいてましたね。
とんだ勘違いで、失礼いたしました。(ボケてきたかな?)
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
Posted by jbopper
at 2008年08月15日 09:48

こんにちは。
お盆だと言うのに墓参りもままならん
なみはやFFでございます。
相棒はもう帰ってしまったかも?マダイルカナア?
どんなに遠く離れても心の中にはいつも
大切な人は居てくれます。
きっと何処かで見てくれているのでしょうね。
そんな気がします。
お盆だと言うのに墓参りもままならん
なみはやFFでございます。
相棒はもう帰ってしまったかも?マダイルカナア?
どんなに遠く離れても心の中にはいつも
大切な人は居てくれます。
きっと何処かで見てくれているのでしょうね。
そんな気がします。
Posted by なみはやFF at 2008年08月15日 10:07
良い話ですねぇ
最近特に涙腺が弱くてウルウルしちゃいました。
こんな思いをB級さんに書いてもらえて
叔父様も喜んでますね^^
私も祖母に会いに行って参りました。
最近特に涙腺が弱くてウルウルしちゃいました。
こんな思いをB級さんに書いてもらえて
叔父様も喜んでますね^^
私も祖母に会いに行って参りました。
Posted by 燈 akari♪ at 2008年08月15日 19:40
こんばんは。
古き良き日本を感じながら読み進めましたが、最後はジンとくるお話ですね。
私たち兄弟に釣りを教え込んでくれた父は健在ですが、今のうちに親孝行しなくちゃなぁと思いました(^^;
古き良き日本を感じながら読み進めましたが、最後はジンとくるお話ですね。
私たち兄弟に釣りを教え込んでくれた父は健在ですが、今のうちに親孝行しなくちゃなぁと思いました(^^;
Posted by みかん
at 2008年08月15日 20:09

>jbopperさん こんばんは
私も最近はあちこちのブログを訪問するだけで、コメントさせていただく余裕が無かったものですから、同じような勘違いはよくありますよ。気にしないでください。
それにしても木工って奥が深そうですね。
私も最近はあちこちのブログを訪問するだけで、コメントさせていただく余裕が無かったものですから、同じような勘違いはよくありますよ。気にしないでください。
それにしても木工って奥が深そうですね。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 23:12
>なみはやFFさん こんばんは
人にはそれぞれ、お別れしなければならなかった人があるものですね。それが早すぎる別れであれば、双方の思いはなおさらですね。だからこそ今の出逢いを大切にしなきゃと、皆さんのコメントを拝見し、今更ながら感じさせていただきました。
叔父さんが釣りを見守ってくれているのなら、もう少し釣らせていただきたいものです。明日の夜はロウソクを立てましょうか。
人にはそれぞれ、お別れしなければならなかった人があるものですね。それが早すぎる別れであれば、双方の思いはなおさらですね。だからこそ今の出逢いを大切にしなきゃと、皆さんのコメントを拝見し、今更ながら感じさせていただきました。
叔父さんが釣りを見守ってくれているのなら、もう少し釣らせていただきたいものです。明日の夜はロウソクを立てましょうか。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 23:24
>燈 akari♪さん こんばんは
この夏は祖父母や叔父の仏壇に手を合わすことができず、後ろめたい気持ちです。
燈さんのお祖母さんも、今頃この世の最後の夜を楽しんでおられるのでしょうね。
大切な人との思い出はいつまでも大事にしまっておきたいですね。
この夏は祖父母や叔父の仏壇に手を合わすことができず、後ろめたい気持ちです。
燈さんのお祖母さんも、今頃この世の最後の夜を楽しんでおられるのでしょうね。
大切な人との思い出はいつまでも大事にしまっておきたいですね。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 23:34
>みかんさん こんばんは
何もかもが便利な世の中になりましたが、なんだかね。混雑した列車の中で母親の作ってくれたお弁当(当時はあたりまえの光景)も今では駅弁に取って代わり.....。
年寄りがガンコで意固地になるのがとてもよくわかるこの頃です。
お父様にも毛針の手ほどきを.....。
何もかもが便利な世の中になりましたが、なんだかね。混雑した列車の中で母親の作ってくれたお弁当(当時はあたりまえの光景)も今では駅弁に取って代わり.....。
年寄りがガンコで意固地になるのがとてもよくわかるこの頃です。
お父様にも毛針の手ほどきを.....。
Posted by B級釣師 at 2008年08月15日 23:40
親の実家、何かと思い出ができる場所ですが、誰がそこにいたかで大きな違いが生まれるのでしょうね。
羨ましいような思い出ですね。
羨ましいような思い出ですね。
Posted by ADIA at 2008年08月24日 16:55
>ADIAさん こんにちは
おっしゃるとおりで、厳格な祖父母だけであれば、あんなにワクワクと帰省していなかったかもしれませんね。考えたことの無かった視点で、不意を突かれた感じです。
おっしゃるとおりで、厳格な祖父母だけであれば、あんなにワクワクと帰省していなかったかもしれませんね。考えたことの無かった視点で、不意を突かれた感じです。
Posted by B級釣師 at 2008年08月24日 18:11